2014年04月30日
東尋坊
2014年 4月
荒島岳登山の様子はこちらから!
龍双ヶ滝の様子はこちらから!
福井県の観光地と聞けば、必ず挙がってくるのが「東尋坊」
福井県と言えば東尋坊
でも、東尋坊と言えば………アレッ??福井県だっけ??石川県だっけ??
となるのが東尋坊
そんな東尋坊へと行って来ました
東尋坊は元々お坊さんの名前なんだそうです
東尋坊(Wikiより)
東尋坊(とうじんぼう)は、福井県坂井市三国町安島に位置する崖。越前加賀海岸国定公園に属する。
海食によって海岸の岩肌が削られ、高さ約25メートルの岩壁が続く。
この岩は輝石安山岩の柱状節理でこれほどの規模を持つものは世界に三箇所だけであり地質上極めて貴重とされ、国の天然記念物及び名勝に指定されている。
地名の由来は、乱暴あるいは恋愛関係で恨みを買って此処から突き落とされた平泉寺(勝山市)の僧の名前による。
由来
由来や伝承は複数あるが、雄島の大湊神社では以下のような由来を紹介している。
昔、平泉寺には数千人僧侶がいた。その中にいた東尋坊という僧は、怪力を頼りに、民に対して悪事の限りをつくした。
東尋坊が暴れ出すと手がつけられず、誰も彼を押さえることが出来なかった。
東尋坊はまさにやりたい放題、好き勝手に悪行を重ねていたので、当然のように平泉寺の僧侶は困り果てていた。
また東尋坊はとある美しい姫君に心を奪われ、恋敵である真柄覚念(まがらかくねん)という僧と激しくいがみ合った。
そんな寿永元年(1182年)4月5日、平泉寺の僧たちは皆で相談し東尋坊を海辺見物に誘い出す。
一同が高い岩壁から海を見下ろせるその場所へ着くと、早速岩の上に腰掛けて酒盛りが始まった。
その日は天気も良く眺めの良い景色も手伝ってか、皆次第に酒がすすみその内、東尋坊も酒に酔って横になり、うとうとと眠り始めた。
東尋坊のその様子をうかがうと一同は目配せをし、真柄覚念に合図を送った。
この一同に加わっていた真柄覚念は、ここぞとばかりに東尋坊を絶壁の上から海へ突き落とした。
平泉寺の僧侶たちのこの観光の本当の目的は、その悪事に手を焼いた東尋坊を酔わせて、高い岩壁から海に突き落とすことにあった。
崖から突き落とされつつ、ようやくそのことに気付いた東尋坊であったが、もはや手遅れ。
近くにいた者どもを道連れにしつつ、東尋坊はまたたくまに崖の下へと落ちて行った。
東尋坊が波間に沈むやいなや、それまで太陽の輝いていた空は、たちまち黒い雲が渦を巻きつつ起こり青い空を黒く染め、にわかに豪雨と雷が大地を打ち、大地は激しく震え、東尋坊の怨念がついには自分を殺した真柄覚念をもその絶壁の底へと吸い込んでいった。
以来、毎年東尋坊が落とされた4月5日の前後には烈しい風が吹き、海水が濁り、荒波が立ち、雷雨は西に起こり東を尋ねて平泉寺に向ったという。
この日は晴天で穏やかな日本海な東尋坊でした
東尋坊のジオラマ
25m岩の崖がズラっと続くことから”アレのスポット”となっております
この崖、、、、、
出て来そうな雰囲気が凄いですね
これは出て来るでしょう~~、絶対に出ます
雰囲気プンプンです
え??なにが出るって、、、、、
船越英一郎さんに決まってるでしょ!!
崖=船越さん でしょが!!
ここで事件解決ですよ!
私には、片平なぎささんも見えました
東尋坊は日本有数の船越さんスポットですね
写るんです、、、、、
昭和を感じます
冗談はさておき
東尋坊の、もうひとつの顔
「自殺スポット」
「救いの電話」なるものも見てきました
電話BOXがあり
中には落ち着けるように、たばこが置いてあったり
相談が出来る様に10円玉と電話番号がかかれていたり
考え直して貰えるように、詩が書かれていたり
なんか悲しくなりますね
自分は偉そうなこと言える人間では無いけれど
そういう行為を選ぶ人は、めっちゃ悩んで、傷ついて、どん底を見ているんだろうなぁ
でも自殺なんてする前に、一回
雲ひとつ無い、すっきり晴れた日に、山に登って、あの景色を見てもらいたい
めっちゃ悩んで、傷ついて、どん底を見た人だからこそ、理解出来ること、見える物があると思います
この世界は人間なんかが一生掛けても全部を見れない位に、めっちゃ広いんですよ!
だからこそ、そういう経験をしてきた、あなただからこそ出来ることがあるはず!
もっともっと、いろんな所に行って、いろんな物を見るべきだと思います
明るいうちは、すぐ後ろが売店だらけで、そんな暗いスポットなのだとは微塵も感じないんですけどね
綺麗な日本海の向こうに見える島が「雄島」なのです
子供のときにアンビリーバボーで見たな、、、、、、
っと、いうことで次は雄島へと行く事にしました
帰り際、東尋坊??の銅像が、、、、、
、、、、、と思ったら
売ってます!!
86万円、、、、、
荒島岳登山の様子はこちらから!
龍双ヶ滝の様子はこちらから!
福井県の観光地と聞けば、必ず挙がってくるのが「東尋坊」
福井県と言えば東尋坊
でも、東尋坊と言えば………アレッ??福井県だっけ??石川県だっけ??
となるのが東尋坊
そんな東尋坊へと行って来ました
東尋坊は元々お坊さんの名前なんだそうです
東尋坊(Wikiより)
東尋坊(とうじんぼう)は、福井県坂井市三国町安島に位置する崖。越前加賀海岸国定公園に属する。
海食によって海岸の岩肌が削られ、高さ約25メートルの岩壁が続く。
この岩は輝石安山岩の柱状節理でこれほどの規模を持つものは世界に三箇所だけであり地質上極めて貴重とされ、国の天然記念物及び名勝に指定されている。
地名の由来は、乱暴あるいは恋愛関係で恨みを買って此処から突き落とされた平泉寺(勝山市)の僧の名前による。
由来
由来や伝承は複数あるが、雄島の大湊神社では以下のような由来を紹介している。
昔、平泉寺には数千人僧侶がいた。その中にいた東尋坊という僧は、怪力を頼りに、民に対して悪事の限りをつくした。
東尋坊が暴れ出すと手がつけられず、誰も彼を押さえることが出来なかった。
東尋坊はまさにやりたい放題、好き勝手に悪行を重ねていたので、当然のように平泉寺の僧侶は困り果てていた。
また東尋坊はとある美しい姫君に心を奪われ、恋敵である真柄覚念(まがらかくねん)という僧と激しくいがみ合った。
そんな寿永元年(1182年)4月5日、平泉寺の僧たちは皆で相談し東尋坊を海辺見物に誘い出す。
一同が高い岩壁から海を見下ろせるその場所へ着くと、早速岩の上に腰掛けて酒盛りが始まった。
その日は天気も良く眺めの良い景色も手伝ってか、皆次第に酒がすすみその内、東尋坊も酒に酔って横になり、うとうとと眠り始めた。
東尋坊のその様子をうかがうと一同は目配せをし、真柄覚念に合図を送った。
この一同に加わっていた真柄覚念は、ここぞとばかりに東尋坊を絶壁の上から海へ突き落とした。
平泉寺の僧侶たちのこの観光の本当の目的は、その悪事に手を焼いた東尋坊を酔わせて、高い岩壁から海に突き落とすことにあった。
崖から突き落とされつつ、ようやくそのことに気付いた東尋坊であったが、もはや手遅れ。
近くにいた者どもを道連れにしつつ、東尋坊はまたたくまに崖の下へと落ちて行った。
東尋坊が波間に沈むやいなや、それまで太陽の輝いていた空は、たちまち黒い雲が渦を巻きつつ起こり青い空を黒く染め、にわかに豪雨と雷が大地を打ち、大地は激しく震え、東尋坊の怨念がついには自分を殺した真柄覚念をもその絶壁の底へと吸い込んでいった。
以来、毎年東尋坊が落とされた4月5日の前後には烈しい風が吹き、海水が濁り、荒波が立ち、雷雨は西に起こり東を尋ねて平泉寺に向ったという。
この日は晴天で穏やかな日本海な東尋坊でした
東尋坊のジオラマ
25m岩の崖がズラっと続くことから”アレのスポット”となっております
この崖、、、、、
出て来そうな雰囲気が凄いですね
これは出て来るでしょう~~、絶対に出ます
雰囲気プンプンです
え??なにが出るって、、、、、
船越英一郎さんに決まってるでしょ!!
崖=船越さん でしょが!!
ここで事件解決ですよ!
私には、片平なぎささんも見えました
東尋坊は日本有数の船越さんスポットですね
写るんです、、、、、
昭和を感じます
冗談はさておき
東尋坊の、もうひとつの顔
「自殺スポット」
「救いの電話」なるものも見てきました
電話BOXがあり
中には落ち着けるように、たばこが置いてあったり
相談が出来る様に10円玉と電話番号がかかれていたり
考え直して貰えるように、詩が書かれていたり
なんか悲しくなりますね
自分は偉そうなこと言える人間では無いけれど
そういう行為を選ぶ人は、めっちゃ悩んで、傷ついて、どん底を見ているんだろうなぁ
でも自殺なんてする前に、一回
雲ひとつ無い、すっきり晴れた日に、山に登って、あの景色を見てもらいたい
めっちゃ悩んで、傷ついて、どん底を見た人だからこそ、理解出来ること、見える物があると思います
この世界は人間なんかが一生掛けても全部を見れない位に、めっちゃ広いんですよ!
だからこそ、そういう経験をしてきた、あなただからこそ出来ることがあるはず!
もっともっと、いろんな所に行って、いろんな物を見るべきだと思います
明るいうちは、すぐ後ろが売店だらけで、そんな暗いスポットなのだとは微塵も感じないんですけどね
綺麗な日本海の向こうに見える島が「雄島」なのです
子供のときにアンビリーバボーで見たな、、、、、、
っと、いうことで次は雄島へと行く事にしました
帰り際、東尋坊??の銅像が、、、、、
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86万円、、、、、
Posted by gami at 12:05│Comments(0)
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