2016年01月29日
諏訪大社 四社参り
2016年 1月
今年の初登山に霧ヶ峰でも歩こうかと、長野県諏訪市へ行って来ました
松本近辺の高速道路が大雪で通行止めになってしまい、夜のうちに霧ヶ峰まで行けなかったので、初日は観光に変更
諏訪大社巡りをして参りました
諏訪大社は諏訪湖近辺に、下社秋宮(しもしゃあきみや)下社春宮(しもしゃはるみや) 上社本宮(かみしゃほんみや) 上社前宮(かみしゃまえみや)と四つ在るそうで、四つの社にお参りに行くのを四社参りと言うそうです
ってことで、まずは下社春宮へと足を伸ばします
下社春宮
「社殿に向かう石畳をゆっくりと歩けば一瞬で日常の喧噪から離れ、自然と静寂に五感が研ぎすまされる。
「社殿に向かう石畳をゆっくりと歩けば一瞬で日常の喧噪から離れ、自然と静寂に五感が研ぎすまされる。
春宮のすぐ脇にはどんな洪水でも沈まないといわれる浮島や、一年の農作物の豊凶を占う「筒粥神事」など下社七不思議を辿ってみるのもおもしろい。」
諏訪大社と言えばの「御柱」も健在今年は御柱大祭の行われる年なのですね
春社をお参りしたあと、こちらも見て来ました
橋を渡ると見えてきます
万治の石仏 (wikiより)
「万治」という名の由来は万治3年(1660年)11月1日(石仏の胴部に刻まれている。他に「願主明誉浄光・心誉廣春」と刻まれているがこの二人は僧籍にも見当たらない)に造られたとされるところによる。
伝説によると諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を造る為にこの石仏を材料にしようと鑿を入れたところ(その鑿は現存している)、傷口から血が出てきたため職人達は祟りをおそれ、その晩に職人達が夢枕で上原山に良い石材があるという夢を見て、その山に行き探したところ見つけることが出来職人達はこの石仏を阿弥陀如来として祀った。
それに因んでこの辺りの地名は石仏となっている(住所としては載っていない)。
橋を渡ると見えてきます
万治の石仏 (wikiより)
「万治」という名の由来は万治3年(1660年)11月1日(石仏の胴部に刻まれている。他に「願主明誉浄光・心誉廣春」と刻まれているがこの二人は僧籍にも見当たらない)に造られたとされるところによる。
伝説によると諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を造る為にこの石仏を材料にしようと鑿を入れたところ(その鑿は現存している)、傷口から血が出てきたため職人達は祟りをおそれ、その晩に職人達が夢枕で上原山に良い石材があるという夢を見て、その山に行き探したところ見つけることが出来職人達はこの石仏を阿弥陀如来として祀った。
それに因んでこの辺りの地名は石仏となっている(住所としては載っていない)。
大きな丸い石に頭部の石が乗っているという石仏
どこか、ユーモアがあり可愛らしさがあります
畑の真ん中にドスンと鎮座しているので違和感がハンパないです
万治の石仏も作法に習い、お参りをしましたグルグル回りました
芸術家の岡本太郎さんが訪れて大絶賛したことにより有名になったそうで石碑も置いてあります
続いて下社秋宮へ温泉が湧き出ており、温泉で手を清められます
下社秋宮
「鳥居をくぐると樹齢八百年の「寝入りの杉」がお出迎え。
巨大な注連縄が締められた神楽殿の横には日本最大の青銅製の狛犬が鎮座している。」
駐車場も境内も広く、参拝客の多い社です
そして上社前宮
上社前宮
「諏訪大社の御祭神が最初に居を構えたと伝えられる諏訪信仰発祥の地。
脇には豊富な水量の「水眼(すいが)の清流」が脈々と流れ、日照の得られる「良き地」とされている。
いにしえからの信仰の姿を色濃く残す前宮は、自然とともに生きる諏訪人の祈りを感じる場所。」
他の三社と違い、人がおらず、静かに参拝をすることが出来ました
最後に人生二度目の上社本宮参拝
相変わらず気持ち良い通路です
御柱大祭の時使う物も展示しております
どうやら前に来た時は工事中だった拝殿も完成したみたいですね
四社参りを終えた後、霧ヶ峰車山へと向かいます
Posted by gami at 12:40│Comments(0)
│旅
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