2016年02月22日
富士山本宮浅間大社
厳冬期富士山登山の様子はこちらから!
2016年2月
厳冬期富士山に初挑戦して、無事に敗退して翌日
富士山に行く度に、色んな浅間神社に行ってはいたのですが、浅間神社の総本山「富士山本宮浅間大社」には行ったことが無かったので
この機会に行って来ましたなんてったって世界文化遺産ですしね!
案内版も充実の数ヵ国語の対応です
富士山本宮浅間大社 wikiより
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、静岡県富士宮市にある神社。
式内社(名神大社)、駿河国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
社家は富士氏。
全国に約1,300社ある浅間神社の総本社である。
全国に約1,300社ある浅間神社の総本社である。
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている
富士山を神体山として祀る神社であり、境内は以下の2宮からなる。
本宮 - 富士山南麓(富士宮市街地)
奥宮 - 富士山頂上
浅間大社は全国の浅間神社の総本社であり、富士信仰の中心地として知られる。
境内は広大で、本宮社地で約17,000m2になるほか、富士山の8合目以上の約385万m2も社地として所有している。
本宮の本殿は徳川家康による造営で、「浅間造」という独特の神社建築様式であり、国の重要文化財に指定されている。
また、本宮境内には富士山の湧水が湧き出す「湧玉池」があり、国の特別天然記念物に指定されている。
祭神を木花之佐久夜毘売命とし、祭神にまつわる桜を神木として境内には約500本もの桜樹が奉納されている。
また、古来より富士氏が大宮司を務め、「日本三大宮司」の1つに数えられた。
古くより朝廷・武家からの崇敬が深かったほか、社地は大宮・村山口登山道の起点に位置することもあり、古くから登山を行う修験者からの崇敬も受けていた。
富士山を神体山として祀る神社であり、境内は以下の2宮からなる。
本宮 - 富士山南麓(富士宮市街地)
奥宮 - 富士山頂上
浅間大社は全国の浅間神社の総本社であり、富士信仰の中心地として知られる。
境内は広大で、本宮社地で約17,000m2になるほか、富士山の8合目以上の約385万m2も社地として所有している。
本宮の本殿は徳川家康による造営で、「浅間造」という独特の神社建築様式であり、国の重要文化財に指定されている。
また、本宮境内には富士山の湧水が湧き出す「湧玉池」があり、国の特別天然記念物に指定されている。
祭神を木花之佐久夜毘売命とし、祭神にまつわる桜を神木として境内には約500本もの桜樹が奉納されている。
また、古来より富士氏が大宮司を務め、「日本三大宮司」の1つに数えられた。
古くより朝廷・武家からの崇敬が深かったほか、社地は大宮・村山口登山道の起点に位置することもあり、古くから登山を行う修験者からの崇敬も受けていた。
祭神について
富士山の山容
富士山には、その美しい山容から女神と見る信仰が古くからあり、平安時代には都良香の「富士山記」(『本朝文粋』所収)に「浅間大神」として、『竹取物語』には「かぐや姫」の名でその表現がある。
しかしながら、これに『古事記』『日本書紀』に見えるコノハナノサクヤヒメが当てられたのは近世に入ってからと見られ、それまでは一般に「浅間神」の名で信仰されていた。
「浅間」の古称「あさま」は、阿蘇山・浅間山・朝日岳等に見られるように「火山」を表す呼称と見られている。
都良香の記述も延暦21年(802年)の噴火を取り上げており、この頃に「浅間神」の呼称が生まれたと考えられている。
中世以後の神仏習合時代には「富士大菩薩」「浅間大菩薩」、さらに降ると「富士権現」とも称された。
富士山の神霊をコノハナノサクヤヒメに当てる起源は明らかでないが、文献の初見は江戸時代初期の『集雲和尚遺稿』である。
「コノハナ(木花)」は桜の古名といわれ、祭神は富士山の美貌の形容に由来するとされる。
また、神話にある「コノハナノサクヤヒメの火中での出産」も、火にまつわる事象として意識されたと見られる。
また、三島神(三嶋大社)の祭神を大山祇神と見て、富士と三島が父子とする伝説も江戸時代頃から散見されるようになる。
江戸時代の屋代弘賢による『古今要覧稿』には「二神を祭る」という表現もあるが、現在は上記のように「浅間大神は木花之佐久夜毘売命の別称」としており、習合した1柱の神格を主祭神としている。
また配祀神については、『富士本宮浅間社記』では太元尊神と大山祇神としている。
太元尊神は国常立尊とされるが、明治初年以降から現在に至るまでは、太元尊神に代えて瓊々杵尊を配祀神の1柱としている。
楼門を潜り、朱塗りの綺麗な本殿へ入ります
拝殿にてお参りまた富士山に登る時も事故などありません様に!
続いて拝殿の脇にある湧玉池へ
湧玉池 HP紹介文より
東脇門を出ると平安朝の歌人平兼盛が「つかうべきかずにをとらん浅間なる御手洗川のそこにわく玉」と詠じた湧玉池があります。
この池は富士山の雪解け水が何層にもなった溶岩の間を通り湧出するもので、特別天然記念物に指定されています。
清水の湧出する水源の岩上には朱塗優雅な水屋神社があります。
富士山登山者はこの霊水に禊ぎをして登山する古くからの習わしがあります。
富士山の豊富な湧水の池で、鏡の様に周りの景色が映っております綺麗っす
朝一だったのでカモも池の上で爆睡中カモって、こんな寝方なんやね~
参拝を終え、次の目的地へと向かいます
Posted by gami at 01:30│Comments(0)
│旅
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