2014年07月29日
日光東照宮
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2014年 5月
1日目は天気に恵まれて、男体山を登り、滝巡りしましたが
2日目、日が明けてみると外は土砂降りの雨
土砂降りでしたが「日光と言ったらここ!」という場所
日光東照宮へと行って来ました
日光東照宮(wikiより)
栃木県日光市に所在する神社。
江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る。
日本全国の東照宮の総本社的存在である。
正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。
その歴史は少なくとも源義朝による日光山造営までさかのぼり得るもので、源頼朝がその母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて、東国の宗教的権威となっていた。
こうした歴史を背景に、徳川氏は東照宮を造営したと考えられる。
元和2年4月17日(1616年6月1日)、徳川家康は駿府(現在の静岡)で死去した。
遺命によって遺骸はただちに駿河国の久能山に葬られ、同年中に久能山東照宮の完成を見たが、翌・元和3年(1617年)、下野国日光に改葬された。
同年4月(4月)に社殿が完成し(作事奉行は藤堂高虎が務めた)、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、4月8日(5月12日)に奥院廟塔に改葬され、4月17日(5月21日)に遷座祭が行われた。
なお、改葬の際、吉田神道と山王神道のどちらで祀るかで論争となったが、天海が主張した山王一実神道が採用され、薬師如来を本地仏とする神仏習合によって祀られることになった。
寛永11年(1634年)には、9月(9月か10月)に3代将軍・徳川家光が日光社参し、寛永13年(1636年)の21年神忌に向けて寛永の大造替が始められ、今日見られる荘厳な社殿への大規模改築が行われた。
家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。
家康は遺言中に「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。
そして、八州の鎮守となろう」と述べている。
家康が目指した「八州の鎮守」とは、日本全土の平和の守り神でもある。
家康は、不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたのである。
日光東照宮は、陰陽道に強い影響を受け、本殿前に設けられた陽明門とその前の鳥居を中心に結んだ上空に北辰(北極星)が来るように造られているという。
また、その線を真南に行けば江戸に着くとされ、さらに、主要な建物を線で結ぶと北斗(北斗七星)の配置と寸分違わぬよう設計されているという、そのため、陽明門前の写真店屋のある辺りが気学における四神相応(しじんそうおう)の土地相といわれている。
ただし、Google Earth から経緯度を取得すると、江戸城本丸から日光東照宮本殿への方位角は353度16分20秒(6度43分40秒西振れ)となり、およそ南北の位置関係にあると言える程度である。
日光東照宮の建物には、多様な動物の木彫像がみられることが多い。
これらの動物のほとんどは平和を象徴している。
眠り猫は踏ん張っていることから、実は家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれているが、もう一つの教えとして、裏で雀が舞っていても「猫も寝るほどの平和」を表しているのである。
神厩舎には猿の彫刻を施した8枚の浮彫画面があり、猿が馬を守る動物であるという伝承から用いられている。
この8枚で猿の一生が描かれており、ひいては人間の平和な一生の過ごし方を説いたものとなっている。
日光の木彫像の中で眠り猫に続いてよく知られている、「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な三猿は、この神厩舎に造られたものの1枚に過ぎない。
なお、「見ざる、言わざる、聞かざる」は「幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えである。
言わずと知れた徳川家康の眠る場所として日本の歴史として世界遺産にも選ばれた日光東照宮
「日本の歴史」を見て廻ります
朝一で隣の二荒山神社の境内に車を停めさせて貰い日光東照宮へと向かいます
東照宮の入り口にある五重塔
入る前におみくじを引いてみました
「待ちかぬる花も色香をあらわして咲くや吉野の春雨の空」
「昔の苦は楽の種となり運勢は益々盛んになろうとする」とのこと
しかも中吉ええ感じっすね
日光東照宮の見取り図
分かりずらいですが一番高い所に東照大権現、徳川家康が眠っていると云われています
8:30の開門と同時に入場
十年振り位に中に来ました
その時は人が多すぎて奥まで行かなかったんですよね~
今日は、朝一で、人もまだ疎らなので奥まで行きますよ
神厩舎
ご神馬をつなぐ厩(うまや)で、早速有名な三猿を見る事が出来ます
見ざる
言わざる
メガザル!!(自分以外蘇ります)
では無く、聞かざる
と、三猿を見ることが出来ます
三猿ってダジャレっぽくて日本特有の物かと思ってましたが世界各所にあるみたいですね~
煌びやかな門、陽明門は改装中でした
改装中に新しい絵が発見されたとかなんとか
拝殿で御参りした後、家康公が眠っている奥宮へと向かいます
奥宮の入り口に、有名な眠り猫があります
牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています
奥宮への入り口の門
ここから、また空気が変わるのが分かります
重厚で歴史を感じる石の道
人の少ない時にゆっくり歩きたい道だなぁと思います
因みにオーブみたいなのは雨と思います
ここも、陰陽道に影響を受けた道なのですかねぇ
神主さんの後ろを着いて歩くと奥宮に到着
家康公の眠る所の前の自販にはお茶のみ!
お~いお茶だらけ(笑)
家康公のお墓を目指します
学校やテレビなど色んなところで学び、テストとかにも出た
あの徳川家康が眠る場所
なんか不思議な気持ちになります
お墓の前にある鶴と亀
かごめかごめが徳川埋蔵金の在り処を表す歌で~
穴を掘りまくるけど結局埋蔵金は見つからず
ってのを昔のテレビで、よく見ておりましたが
またやって欲しいな~
徳川埋蔵金は浪漫!!
そのあと、鳴き龍を見学している所で人がごった返してきたので、そそくさと東照宮を後にしました
Posted by gami at 10:13│Comments(0)
│旅
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