2010年11月01日
広島の旅 (過去旅編)
2010年のお盆休み、1泊3日で広島の旅と四国の山を登りに行って来ました。(1週間前位に思い立ったので勿論、車中泊)
前日の夜に出て仮眠を取りながら昼の12時頃、大阪に差し掛かり
岡本太郎作
太陽の塔
で、広島に着いたのが午後4時頃、、、、、、、疲れた
広島と言ったら「広島東洋カープ」ですね!(自分は大のカープファンです!!)
そう!
広島市民球場!
今年、解体予定という事でバッチリ写真に納めましたよ!
今までありがとう。広島市民球場!
でも、今回のメインは市民球場の反対側にある所、、、、、、、
ユーチューブの動画の貼り方が分かったのでハリハリっと
Imagineを聞きながら見てください。 戦争の勉強です。
原爆ドーム
1945年 8月6日 8時15分
人類史上初めて原子爆弾が落とされました
旅行時の写真を見ながら原爆投下までの過程を御覧下さい。
1943年 マンハッタン計画として開発中だった原子爆弾が日本に使用される事が決まる。
新潟市、小倉市、京都市、広島市、横浜市が原爆投下候補地として決まり、原爆の威力を実験する為に空襲が禁止される。
1945年 5月28日 京都市、広島市、新潟市に原爆を投下する地点が決定される。
6月14日 歴史的価値が高い町という事で京都市が除外され 小倉市、広島市、新潟市が目標になる。
7月20日 模擬原子爆弾のパンプキン爆弾による投下訓練が行われる。
7月24日 京都市の代わりに長崎市が目標に加えられる。
7月25日 「小倉、新潟、広島、長崎のいずれかの都市に8月3日以降の目視爆撃可能な天候の日に原爆を投下する」と指令が出される。
8月2日 8月6日に原爆による攻撃を決定。
第1目標は「広島市中心部と工業地帯」
第2目標は「小倉造兵廠および同市中心部」
第3目標は「長崎市中心部」
8月6日 広島市に原爆が落とされました、、、、、
朝8時15分頃 相生橋からやや南東 島病院付近 高度600mの地点で核分裂、爆発しました。
爆心地500m圏内では閃光と衝撃波がほぼ同時に襲い、巨大な爆風圧が建築物の大半を一瞬で破壊した。
強力な熱線により屋外に居た人は内臓組織に至るまで全身の水分が蒸発、炭化した遺体が市街に大量に残された。
路面電車も炎上したまま惰性で遺体を載せたまま暫く走り続けたそうです。
生き残った人も爆風と熱線により衣服は剥がれ、表皮も皮膚組織から剥がれ爪の所でようやく繋がっている、腰の所で繋がっている状態であったり、強い衝撃で眼球が飛び出した者、腹から腸が飛び出している者などまさに地獄絵図だった。
被爆されて瀕死の重傷を負った人は水を求めて川や貯水槽に集まり、水辺一帯は死体で覆われたそうです。
また、放射能により汚染された土、空気、雨により被爆して人体に異常を引き起こし、白血病や癌で何年も苦しみ続けて亡くなった方も多かった。
当時の広島市の人口が35万人(推定)でそのうちの約14万人が亡くなられたそうです。
被爆されて亡くなった方を入れるともっとです。
その3日後、長崎市にも原爆が落とされ 15日、日本は終戦を迎える。
(11日に新潟市にも原爆が落ちる可能性があるという事で市民がパニックを起こし、大半の市民が避難したそうです)
この川も水を求めて亡くなった方だらけだったのでしょう..........
未だに原爆、水爆は世界中にあります。 人類を死滅させる程に........
人類を絶やす爆弾、何のために「誰が為」にあるのでしょうか...........
最後に広島市民に代わって祈らせて貰います。
どうか、この世から核爆弾が無くなります様に.....
どうか、この世から戦争が無くなります様に.......
どうか、前田健太が違う球団(特に巨人とか阪神)に行きませんように
大好きなフラッシュです。 作ってくれた方に感謝、感謝です
前日の夜に出て仮眠を取りながら昼の12時頃、大阪に差し掛かり
岡本太郎作
太陽の塔
で、広島に着いたのが午後4時頃、、、、、、、疲れた
広島と言ったら「広島東洋カープ」ですね!(自分は大のカープファンです!!)
そう!
広島市民球場!
今年、解体予定という事でバッチリ写真に納めましたよ!
今までありがとう。広島市民球場!
でも、今回のメインは市民球場の反対側にある所、、、、、、、
ユーチューブの動画の貼り方が分かったのでハリハリっと
Imagineを聞きながら見てください。 戦争の勉強です。
原爆ドーム
1945年 8月6日 8時15分
人類史上初めて原子爆弾が落とされました
旅行時の写真を見ながら原爆投下までの過程を御覧下さい。
1943年 マンハッタン計画として開発中だった原子爆弾が日本に使用される事が決まる。
新潟市、小倉市、京都市、広島市、横浜市が原爆投下候補地として決まり、原爆の威力を実験する為に空襲が禁止される。
1945年 5月28日 京都市、広島市、新潟市に原爆を投下する地点が決定される。
6月14日 歴史的価値が高い町という事で京都市が除外され 小倉市、広島市、新潟市が目標になる。
7月20日 模擬原子爆弾のパンプキン爆弾による投下訓練が行われる。
7月24日 京都市の代わりに長崎市が目標に加えられる。
7月25日 「小倉、新潟、広島、長崎のいずれかの都市に8月3日以降の目視爆撃可能な天候の日に原爆を投下する」と指令が出される。
8月2日 8月6日に原爆による攻撃を決定。
第1目標は「広島市中心部と工業地帯」
第2目標は「小倉造兵廠および同市中心部」
第3目標は「長崎市中心部」
8月6日 広島市に原爆が落とされました、、、、、
朝8時15分頃 相生橋からやや南東 島病院付近 高度600mの地点で核分裂、爆発しました。
爆心地500m圏内では閃光と衝撃波がほぼ同時に襲い、巨大な爆風圧が建築物の大半を一瞬で破壊した。
強力な熱線により屋外に居た人は内臓組織に至るまで全身の水分が蒸発、炭化した遺体が市街に大量に残された。
路面電車も炎上したまま惰性で遺体を載せたまま暫く走り続けたそうです。
生き残った人も爆風と熱線により衣服は剥がれ、表皮も皮膚組織から剥がれ爪の所でようやく繋がっている、腰の所で繋がっている状態であったり、強い衝撃で眼球が飛び出した者、腹から腸が飛び出している者などまさに地獄絵図だった。
被爆されて瀕死の重傷を負った人は水を求めて川や貯水槽に集まり、水辺一帯は死体で覆われたそうです。
また、放射能により汚染された土、空気、雨により被爆して人体に異常を引き起こし、白血病や癌で何年も苦しみ続けて亡くなった方も多かった。
当時の広島市の人口が35万人(推定)でそのうちの約14万人が亡くなられたそうです。
被爆されて亡くなった方を入れるともっとです。
その3日後、長崎市にも原爆が落とされ 15日、日本は終戦を迎える。
(11日に新潟市にも原爆が落ちる可能性があるという事で市民がパニックを起こし、大半の市民が避難したそうです)
この川も水を求めて亡くなった方だらけだったのでしょう..........
未だに原爆、水爆は世界中にあります。 人類を死滅させる程に........
人類を絶やす爆弾、何のために「誰が為」にあるのでしょうか...........
最後に広島市民に代わって祈らせて貰います。
どうか、この世から核爆弾が無くなります様に.....
どうか、この世から戦争が無くなります様に.......
どうか、前田健太が違う球団(特に巨人とか阪神)に行きませんように
大好きなフラッシュです。 作ってくれた方に感謝、感謝です
Posted by gami at 22:35│Comments(0)
│旅
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