2015年08月20日
あつみ温泉
湯殿山神社の様子はこちらから!
2015年 5月
湯殿山神社を訪れた後、温泉に浸かろうと訪れた「あつみ温泉」
何年か前に月山を登りに行った時だったと思いますが、夕方頃車でここを通り、良い感じの温泉地だなぁっと思い、その時は温泉には入らなかったのですが
今回は散歩がてら温泉に入りにいこうと行って来ました
あつみ温泉(wikiより)
開湯は約1300年前とされ、役小角が発見したと伝えられる。但し弘法大師による発見説や鶴が傷ついた脛を浸していたところを発見したなどの説もある。
温海川の川底から湧出した温泉が、河口に流れ日本海を温かくしていたことが温泉名の由来となっている。
鎌倉時代後期には既に湯治場が形成されており、江戸時代には庄内藩の湯役所が設けられ、浴客を収容する宿屋が並び温泉地の情景を見せるようになった。
湯治客が食材を買うための朝市は約260年前から始まり、今日も続いている。
古くから文人墨客が訪れた場所であり、与謝野晶子、横光利一、斎藤茂吉などが訪れた。
第二次世界大戦中の1944年(昭和19年) - 1945年(昭和20年)、東京都江戸川区小岩地区の小岩・上小岩・下小岩・西小岩・南小岩・中小岩の6国民学校から、約1600名の疎開児童を受け入れた。
あつみ温泉の21の旅館では一般客室として2〜3部屋を残しながら、全館を開放して提供している。
1998年(平成10年)4月には、当時の疎開児童ら有志の募金により、熊野神社境内に学童疎開記念碑が建立されている。
1951年(昭和26年)4月24日午後11時20分頃、温泉街の民家から出火し、折からの強風に煽られて温泉街を焼き尽くす大火となった。
全戸数427戸のうち251戸(313世帯)が全焼し、被災者は1,700名を越えたが、奇跡的にも死者は出なかった。
社寺、旅館19軒、郵便局、銀行など損害は15億円余と推定された。あつみ温泉ではその復興を祈念し、1951年(昭和26年)から3ヶ年に渡って温海川の河畔に桜を植樹した。
現在は桜並木となり、名所となっている。
なお、温泉名の表記であるが、古くは漢字で温海温泉とされることが多かった。
しかし、温海が難読であることから、1977年(昭和52年)に当時の国鉄温海駅があつみ温泉駅に改称されると、これ以降は平仮名の表記が多くなった。
2003年(平成15年)から始まった、国土交通省の「くらしのみちゾーン整備事業」では、温海川沿いの市道の歩道と車道の段差をなくすと共に、2車線だった道路を1車線の片側通行にして、更に無電柱化することで生まれた路側帯に、約20箇所の休憩施設を整備した。
2009年(平成21年)8月、この川沿いの通りは、「かじか通り」と命名され、開通式が行われている。以後、この通りを活用したイベントが多数開催されるなど、あつみ温泉が目指す「ひと中心のみちづくり・まちづくり」による温泉街再生のシンボルゾーンとなった。
2012年(平成24年))3月24日、日本海東北自動車道あつみ温泉インターチェンジが開通。
これにより、鶴岡市役所からあつみ温泉まで国道7号経由との比較で、所要時間が約9分短縮される。
駐車場が奥の方にあって、ちょっと分かり辛かったですが車を置いて散歩スタート
大きな旅館の脇に流れる川が綺麗です
ちょうど時期もあり、鯉のぼりが川に掛かっておりました
ちょっと変わったのがあると思ったら「うなぎ」でした(笑)うなぎのぼりっちゅう事っすね
そして日帰り温泉で入れて頂いた「瀧の屋」さん
歴史を感じる風情のある旅館で、私はあんまり存じませんが、横光利一が執筆した「夜の靴」で登場する旅館なんだそうです好きな人には、そういうのは堪んないだろうな~
とても良い温泉でした
昔から文人墨客が訪れる温泉地だったあつみ温泉
与謝野晶子の歌碑が置いてあったり
更には松尾芭蕉の奥の細道で一泊した場所という事で供養碑が建っていました
熊野神社がある、少し登った所には
バラ園もあり、楽しく散歩する事が出来ました
ウォーリーも探すことが出来るあつみ温泉パネェっす
足湯もあり所々にベンチもあり、のどかな温泉地をゆっくり散策するのも、また乙ってもんです
Posted by gami at 00:47│Comments(0)
│旅
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